彼は何も知らない、倫理や人の愛、価値観全て。 彼とすれ違う人は幸せそうな顔をしている、けれどそれすら気付けず、ただ歩くことしか出来ない。 彼は愛されたことがなかった。もちろん愛したことも。 うつろな瞳で景色を無意識にぼやけさせながら、ただ歩いているだけ。 何を求めるでもなく、ただ淡々と。 彼は自分がどこでどうして産まれたかを知らない。 それどころか、どうやって生きてきたのかも覚えていない。 こうしている『今』が彼の全て。 『現在』だけを歩く、彼の耳は、これまで雑音しか認識したことがなかった。 人の言葉は鳥の囀りに聴こえ、雨の音は彼を残酷に通り過ぎてゆく。 意味を持たない『雑音』。 虚ろな耳と瞳と記憶は、心を虚ろにさせるには十分の材料だ。 彼は『人形』だった。 いつものように街を歩くが、彼は街の中にはいない。 他人とぶつかっても、それはただの『物体』であって、生きているものではない。 いや、そもそも『生物』というものさえ、彼は知らないかもしれない。 自分の心臓の音さえ彼は聴いたことがないのだから。 いつも通っている『見知らぬ通り』を歩いているとき、ふと、彼の耳に何かが聞こえた。 『・・・・・・・』 それは、聴き取れないほどの小さな『雑音』。 けれどどこか違う。 『鳥の囀り』とも、遠くで鳴る何かの音とも違う。 …これは、歌? 初めて彼が『意味』を認知したとき、その『歌』はどんどん彼の頭の中で育っていった。 これは、歌だ。何処から聴こえてくるのだろう。 彼は初めて『疑問』を抱いた。 『歌』はどこか遠くのほうから聴こえてくる様で、自分の中から聴こえてくる気もする。 耳を澄ませ、心の中を覗いてみた。 何かが視える… 暗闇の中でぽつんと一つ、小さく光る緑色の何か。 それは、小さな、産まれたばかりの『蔦』だった。 |
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