2003年の夏、大切な人が他界しました。 産まれてからずっとそばにいて見守ってくれてた人。 わたしを産んで、ずっと育ててくれてた人。 母の病気は、思うにストレスから出たものだと思います。 最近多い、ストレスや食生活の不規則からくる病気です。 一緒に暮らしていた祖母が出先で倒れたと、 搬送先の病院から電話が来たのは、もう4年も前のことです。 病名は最初は『くも膜下出血』といわれました。 (後に『脳室内出血とゆわれましたが、アレはどうゆうことだったのでしょぅ) それから手術をし、ICUに入り、一般病棟に移され、 祖母は自分で動いたりしゃべったりすることが難しくなっていました。 病院は都内にあり、わたしと母は交代で毎日面会にゆきました。 交代とゆっても、日中仕事してるわたしと夜仕事してる母でしたので、 どうしても母のほうが多くなってました。 それから3ヵ月後、今度は弟が交通事故。 バイクで通勤中に停車中の車に突撃したのです。 弟はそのまま入院。 相手の方との金銭的な話も母がし、わたしと母は、 近場の弟の病院へ通うほうが多くなりました。 3週間過ぎた頃、弟は無事退院し、祖母も近場の病院へと移されました。 そして、あまり面会に行かなかったためか、 祖母はあまり喋らなくなりました。 それまでは、頑張って手をグーパーしたり、 自分でリハビリをしていたのに。 わたしはとても後悔をしました。 何で毎日祖母のところに行ってあげなかったんだろぅと。 そしてそれは多分、母も同じだったと思います。 祖母への心配、それにかけて金銭的な面でも心痛がすごかったと思います。 そんな折、弟が彼女を家に連れてきました。 とても可愛い子だったのですが、とある事情から母親的には その子とのお付き合いはいいけど結婚は認められませんでした。 1悶着の後、弟は(半ば勘当的に)家を出、母はとても心配したと思います。 その頃母は、体調の不良を訴えるようになりました。 一度検査をしようとしていたとき、検査食と腸の洗浄剤みたいので、 母はとても苦しがりました。 こんなんじゃとても検査なんて受けられないと、 検査はキャンセル、そのまま一年が過ぎました。 いよいよ体調がおかしくなってきた母は、また検査を受けました。 病名は直腸癌。5つ段階があるうち、4段階の時点でした。 入院し手術を受け、3ヵ月後、退院。 わたしはこの頃、仕事が7時間、その空いてる時間に毎日面会にゆきました。 母親は、それがとても嬉しかったようです。 けれど、母の手術の時期、私自身体を壊しました。 ホルモン関係と、耳です。 耳とゆうのは、外耳炎から始まり、耳の中にヘルペスが発症し、 その後中耳炎にかかりました。 当時CD屋に勤めていたので、耳の病気とゆうのはかなり辛かったです。 ホルモン関係は、ストレスからだろうとほっときましたが。 母親はそのことについて、とても申し訳ないと思っていたようです。 自分が心配させているからと、胸を痛めていたようです。 そしてその頃はもう、祖母の病院へは、もうめったに行かなくなりました。 |
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