願わくば、心が常に平穏の中にありますように…。 痛いのも、哀しいのも、辛いのも、できれば、少ないほうがいい。 けれどそれは生きている限り、何かを感じる限り、難しいこと。 何も感じずに生きていれば、楽しさや嬉しさがない代わりに、泣くこともないのでしょう。 でも、そうゆうのも好きじゃない。 わたしの、さほど広くない世界の中でだって、みんな悩みはつきない。 だから、きっと多くの人は心に常に何かを背負っているのだと思います。 そして、楽になる方法はそれぞれあるのだと思う。 ただ、辛いときに泣いたら、泣かなくなるまで泣いたら、少しは楽になると思います。 痛い傷口は必ずふさがる。 跡が残っても、後遺症が残っても、常に痛いとゆうことはなくなる。 だからね、心が痛いときは、それに任せて、ほうっておいても、いいと思う。 無理に逆らわない分、早く楽になるかもしれない。 沈んで沈んで、もうずっとその引力に任せて… そうしたら、きっといつか浮き上がるから。 海の中に沈んだときみたいにね。 自分が、誰かに嬉しいことをしてもらったら、誰かにそれをお返しするのは、いいことだと思います。 もらった相手にも、他の誰かにも。 そしたら、自分も泣けるほど嬉しいと思うから。 その誰かが、ありがとうって言ってくれたら、その嬉しさは倍増して…。 感謝の気持ちが嬉しいんじゃなくて、その人が、お礼をゆってくれるくらい喜んでくれるのが嬉しいから。 いつもカリカリしてる人が、うんと哀しいとき、もしかしたらその人はすごく優しくなるかもしれない。 それは、いらいらする余裕がなくなってるからかもしれない。 いつも人を傷つけるような人が、すごく落ち込んでるときは、もしかしたらその人はすごく優しくなるかもしれない。 それは、人を傷つける余裕がないからかもしれない。 人を非難したりするのは、すごく力がいると思う。 他人を傷つけるのは、すごく精神力のいることだと思う。 もっと、肩の力を抜けばいいのに…と、思う。 自分が傷つきたくないから、あえて人を傷つける人もいる。 自分に力がないと思いたくなくて、他の才ある人をわざと貶める人もいる。 『あなたは自分のこと好きですか? 他人の存在で揺らぐようなアイデンティティですか? あなたという人は、そこでちゃんと根を生やして生きているのに?』 自分のことを好きになってあげたら、心は楽になるのに、と思う。 変な意味じゃなくてね。 自分が自分のこと好きで、他の人にも優しくなれるのが一番いいと思う。 『自分のことは自分が一番知ってる』てゆいます。 『自分らしさって何だろう?』てよく考えます。 それって、人によって違うのだと思う。 『その人のことはその人にしかわからない』んじゃなくて、 『その人にとってのその人のことはその人しか知り得ない』んですよね、きっと。 だから、他人から見た自分らしさなんて気にしなくてもいいし、自分から見た自分らしさってゆうのは、日々の生活で答えは出てるものだと思う。 けど、考えたり悩んだりするのは、けして悪いことじゃない。 その道の先に、ちゃんと帰るべき家があるのなら。 落ち着ける『心の置き場』があるのなら。 願わくば、心を常に平穏の中に置けますように…。 |
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