この世での役目を果たして、静かに休息の時間を迎える小さないのち。 これからこの世で色々感じて色々出会うであろう小さないのち。 私の大切な大切な、その二つの小さないのちの時間の間に、今私がいます。 2月21日、10年と3ヶ月の一生を終え、空に向かった私の大事な子。 人間年齢に直すともう60近いその子は、いつまでも子供のままずっと、私の子として、私にたくさんの幸せな時間をくれました。大切な時間をくれました。 そして、あと一月もすれば、今度は私の血を受け継いだ小さな大切ないのちが生まれます。私と愛する人が出逢って芽生えた、いのち。 これからたくさんの時間をこの世で過ごす、新しいいのち。 生と死って、結局わからないまま、私はこれからもたくさんの時間を過ごしてゆくのでしょう。いのちの大事さ、それは生にも死にもかかってくるのでしょう。 ただ、『死』というものって何なのでしょうね。 肉体の消滅、現世との別れ、そして魂の消滅、いろいろな解釈があって、正しいものなんてわからないし、ないのかもしれない。ただわかるのは、いのちというものの代わりがないことだけ。 魂に消滅はないって思います。 私は、『死後の世界』云々ではなく、感じていることがあります。 私は私なんです。 もし今この現世で私が旅立ったとしても、次に生まれてくるときに私は私なんです。 また、同じように生まれて、同じように人を愛して、愛されて、悲しんで、何も出来なくて悔しい思いをして、そこからまた何かを学ぶ、そんな私なんです。 それが、私が授かった命。 宗教などは、私はあまり信心深くないので、実はよくわかりません。ですが、その色々な考え方を色々自分なりに消化して、私は『生』に対して思うことがあります。 くだらないけれど、たとえば『デジャヴ』を感じたとすれば、私は前の私としての生で経験したことを魂が覚えているのだと思うんです。 それは、多分ずっと前にこの星で起きた出来事。 誰も知る由もない、うんと昔には多分今と同じ文明があって、今と同じ人々がいて、その中に私や家族もいて、私たちはその中で生きてこの世での生を終えたんです。 そして休養して、またこの星に同じ時間が訪れ、私が生まれ、私の大事な子達が生まれ、同じように愛して愛されてたくさんの時間を過ごして・・・ よく、『生まれ変わり』って言葉をききます。 私は、私は私の生まれ変わりなんだろうなって思います。 同じ時間を過ごしていても、それも『修行』でいいんじゃないかなって。 私のいのちと、私の大好きな人達のいのちは、ずっとつながってるって。 大切ないのちと少し離れてしまっても、また必ず出逢えるって思えたら、自分も頑張れる。そう思います。 だから、一生懸命生きて、向こうでまた出会えたときにどうか誇りを持てますように。 あなたの頑張りを見て、あなたの大切な人が喜べますように。 いのちは、幸せになるために授かったものだと思います。 そんないのちを授かれること自体、とても幸せなことなのだとも。 周りのいのちを大切にして、自分のいのちも大切にして、どうか辛いことがあっても、それを糧としてまた一つ幸せを感じられますように。 そうすれば、また素敵な時間を過ごせるでしょう。 人生、辛いことと楽しいことは最期のときにはプラスマイナスゼロになるって、よくききます。 ならば、辛いときにはその楽しい時間を想像して、辛いと思う気持ちを楽にしてあげたい。 楽しいときはもちろん、その幸せをうんと感じたい、力いっぱいに。 そうすれば、出来事としてはプラスマイナスゼロでも、気持ち的には100にも200にもなる、そう思います。 同じことが繰り返されるとしても、今感じているこのいのち、大切にしたいです。 幸せになるために、幸せをたくさん感じるために、周りのいのちを幸せにするために、頑張って人は生きるのかな、そう思います。 |
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