河を渡り終えると、旅人は暗闇の中を歩いていった。
 何も視えない、誰も居ない、孤独な旅。
 けれど彼の世界に『孤独』という言葉は存在しない。
 淡々と歩いている彼に、寂しいという感情や不安という感情は存在しない。
 かといって、今までものように何も知らず何も感じず歩いているわけでもなく、彼の心は楽しさの中にいた。

 やがて彼のゆく道に、一片の雪が舞い降りてきた。
 羽ばたいた鳥の翼から落ちるように、ふわりと極めてやわらかく、雪が舞っていた。


     これは何だろう。


 白の綺麗さに、しばらく心を奪われていた。
 初めて自分の瞳で視る『雪』は、旅人の虚ろな心にそっと忍び込んだ。

 陶酔にも似た時間がしばし過ぎて、彼は雪を優しく手のひらに落とした。
 じわりと溶けながら、それでも雪は氷で居ることをやめず、冷気を放つ。


     冷たい。
 

 思わず差し出した手を引いたが、その冷たさはすぐになくなった。
 手のひらを見ると、白いものが水になっていた。
 はじめ冷たかったその水も、手の温度により暖かさを増してゆく。
 水はやがて蒸発し、手のひらには最早何も残らない。

 不思議と『寂しさ』が残った。

 一瞬で消えた冷たいものに、彼は愛情に似たものを覚えていたから。
 理由のわからない感情を知るたびに、旅人の虚ろな心はなぜか暖かくなってくる。
 その理由はわからないけれど、彼はそれがとても嬉しかった。



 そして歩いてゆくと、彼の耳にまた何かが聴こえてきた。
 はじめは小さく、だんだん大きくなってくる、あの『歌』。

 彼はそれに耳を傾けながらも、少しづつ足を速めていった。
 何だか、あの『歌』がひどく近く感じられた。
 もしかしたら、『歌』はすぐそこにあるのかもしれない、と思った。
 それが実際にそうなのか、自分の心が『歌』を受け入れることを拒まなくなってきたからなのかはわからないけれど。


 ぼんやりした道の輪郭が徐々に現れ始め、旅人の足もどんどん勢いを増してゆく。
 『歌』がどんどん近付いているような気がした。
 そして旅人は、『期待』という感情を知った。


     早く、たどり着きたい。
     今度こそ、この『歌』が止まないうちに。


 そして歩いてゆき、旅人は小さな泉にたどり着いた。
 そこは森の入り口になっていて、泉の奥には年老いた大木が寂しく佇んでいて、その更に奥は見た感じ暗い。
 森はかなり荒れ果てていて、どうやら先には進めそうもなかった。

 多分、ここが旅の終わりだろうと感じた。
 小さな泉に近づき、旅人は腰を下ろした。



      『歌』は今度は、まだ止んでいない。
 



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