後悔


母親は入院中、仕事は休んでいた形でした。
なので、退院してしばらくは自宅療養していた後、
また務めるようになりました。
退院後の母親はかなり元気で、再発の恐れはあるものの、
すぐにいつもの生活に戻りました。
母親はパチンコが大好きだったので、すぐ行くようになり、
わたしは職場が地元だったので、わたしの仕事の休憩時間には、
一緒にご飯食べに行ってました。
退院したといっても、通院は欠かさなかったです。
お薬を貰い、診察もちゃんと受けていました。
再発の可能性はかなり高め。
だけど、あまりの母の元気さに、そんなこと忘れて、
またその生活になじみ、わたしはまたしょっちゅう
家を空けるようになりました。

そんなある日。
退院してから4ヵ月後、母はまた体調不良を訴えるようになりました。
病院からは何もいわれず、母もまた病院に聞きませんでした。
再発がわかってまた手術を受けるのが怖かったのもあると思います。
それでも心配は心配、母は近くの町医者様に見てもらいました。
結果は再発。
そこのお医者様が、母のかかる病院と交流があったため、
すぐに伝達がなされ、母は検査入院となりました。
検査といっても、実際発祥したのはどこかなど診るためで、手術は確実でした。
12月のことでした。
手術をするまでは、入院といっても検査だけだし、週に3日は帰ってきてました。
その頃わたしは、また体を壊すのが怖いとゆうことを
言い訳にして、仕事をやめていました。
なので、外泊してきた母をいろんなとこに連れてきました。
丁度クリスマスシーズンでもあったため、イルミの綺麗なところへ。
桜木町にはわりとよく行き、母はわたしが運転する車で
遠出するのが嬉しかったようで、
『よく道知ってるね』『運転うまくなったね』
と喜んでいました。
ディズニーストアで、母は弟やみんなへのお土産など買ってました。
わたしにももちろん。 二つのヌイグルミ、どちらも選べなかったわたしに、
『クリスマスだから、両方買ってあげる』とゆってくれました。
その二つのヌイグルミ、ずっと大事にしてます。

1月に手術をし、わたしはまたすぐ元気になるだろうと思ってました。
ところが、3月になっても4月になっても、退院の予定はありませんでした。
その頃、母から電話が来ました。
『肝臓にも転移しちゃってるんだってさ』
母は普通にしゃべりました。
すぐ病院へ行き、母と他愛ないお話をしました。
その頃わたしは、『癌』とゆうものを甘く見てました。
『悪いとこをとれば治る』と、何の根拠もなく思っていました。
色々出版されている本など読み、癌を克服した方の手記を読み、
うちの母親も大丈夫だろぅと思ってました。
とんだ甘い考えです。

母は人工透析を受けるようになりました。
一ヵ月後、透析の必要がなくなり(病状回復で)、けれど母はもう
疲れてたように思います。
わたしもだんだん病院へ行くのが億劫になり、毎日行かないようになりました。

6月ごろから、母はあまり動けなくなりました。
前までは、やすこが行くとよく喫煙所までゆき、一緒に煙草吸ったりしてたのに。
調子の悪い日が多くなりました。
わたしも、顔を出すのが、一日おきから二日おき…と減ってゆきました。


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